第5回講座は「浄瑠璃・都都逸・新内など、芸能の魅力」と銘打ちまして、特に日本古来の伝統芸能と「音」の係わり合いを中心にお話が展開しました。
●伝統邦楽の歴史的特色
西洋音楽のように和音を出さず、単旋律の音楽である。
西洋音楽の七音階と違い、五音階の組み合わせによる音楽である。
西洋音楽は 器楽を基礎とした発展であり、伝統音楽は声明のように、
声楽を基礎とした発展である。(それは言葉に独特な働きがあるとする信仰概念、言霊(げんれい)思想による。
●貴族の雅楽、武家の能楽、普化宗の尺八、当道の地歌、箏曲、町人文化の三味線音楽のように、民族音楽がそれぞれの文化に入り込み、大成した。
●猿若町には歌舞伎役者が押し込められ、芸人は賎民(せんみん)として身分の低いものと考えられた。
●浄瑠璃 には 義太夫節 と 新内節、清元節、常磐津節などにつながった一中節の流れの二つがある。
●近松門左衛門が浄瑠璃「出世景清」を書き、浄瑠璃界に革命をもたらした。
●その後豊後浄瑠璃が出現したが、心中流行の原因とされ、豊後節禁止令が出され一時衰退するが、吉宗が死ぬと、規制も緩和され復興した。
●その中には、遊里や料理屋で単独演奏した富士松(新内)節、歌舞伎・舞踊と結合した常磐津節、富本節、清元、長唄などがある。
●伝統邦楽は、義太夫浄瑠璃、豊後系浄瑠璃の語り物音楽、江戸長唄や江戸端歌などの唄い物音楽に分けられる。
●中でも新内は、料亭の前などで演奏し、呼び込まれる流しのスタイルがあったが、昭和40年ころには衰退してしまう。
●都々逸は、お題を与え、客が当意即妙に答えるという方式で、江戸調、明治調、都調、街歌調などがあった。
明治時代の音楽教育では、洋楽は「芸術」、邦楽は「芸能」として、軽んじられ、また理解もなかったのでなかなか普及しなかった。
このように、西洋の芸能や音楽とは全く違う背景や思想の元、その時代、時代において様々な解釈や細分化がなされていったようです。中には時代背景に置いて軽んじられたり禁止されてしまうものもあったりして、その辺りも時代性が反映されていて面白いなと思わされます。
こういう背景にある思想や発想を知ることで、伝統芸能に関する理解や関心をさらに深めることができたのではないでしょうか。
次回はゴールデンウィーク明けの5月10日、小山 周子さんによる「浮世絵と木版画技術の発展」が開講されます。世界で注目される日本の浮世絵や木版画、その発展にはどんな歴史が隠されているのでしょうか?乞うご期待。
受講生の方もどしどし受け付けておりますので、皆様のご参加、お待ちしております。それでは、また次回、会場でお待ちしております。
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