皆さま、こんにちは。好評の中開催してまいりました「国際人のための江戸・東京文化講座」も、早いもので今回で6回目。残すところあと3回となってしまいました。これまでご参加いただいた方々には心から御礼申し上げます。
さて、今回のテーマは「浮世絵と木版画技術の発展」。前回の音楽から一転して絵画のお話です。今回は一体どのようなお話が展開されたのか。簡単ではありますが、お楽しみください。
-現在、世界中の美術館で親しまれている浮世絵。それは遠くルネッサンスに名を連ねる画家達にも影響を与えたと言う-
●浮世絵 江戸庶民の絵画全般を指す。
●名前の由来 思うままに行かない“憂き世”、辛くとも風流を楽しみ、沈まぬように、水に漂うような“浮き世”を語呂合わせたもの。
●菱川師宣(ひしかわもろのぶ) 様々な画法を編み出し、ここに初の“浮世絵師”が誕生したのです。1680年の事でした。
●錦絵 浮世絵のジャンルに属する多色刷りの色彩豊かな版画のこと
●鈴木春信
絵暦の人気絵師、春信は“見立て”と呼ばれる新たなジャンルを確立。
それは古典の絵画を江戸風に見立てて、その原画との違いや比較をして楽しむと言う、文化的な洒落ととんちに溢れた絵の楽しみ方を、世に提示しました。
日本人の心とも言える、四季を感じさせる題材を選び、その土地、名所も楽しめる場所を描き、まるで絵の中から音が聞こえてきそうな動きのある構図にまとめました。
●鳥居清長
日常世界の女性を描き、さらに庶民に近い絵を描きました。
春信に比べて大柄な女性を描くことで、一味違った人気を獲得。大柄女性絵師の宿命を背負った(と思われる)彼が行き着いた先は、“大首絵”と呼ばれる、ドアップの美人画でした。三枚につなげた紙に描くと言う“三枚画”と呼ばれる技法を確立。
●喜多方歌麿
庶民の美人はもはや描き尽くされた雰囲気の中、歌麿は太夫クラスの遊女達の美人画に挑みます。
今回は講座の雰囲気を伝える動画を用意してみました。
視聴していただくにはWindows Media Playerが必要です。
こちらからダウンロードできます。
●寛政の改革
寛政の改革により、錦絵もまた贅沢品として取り締まりの対象となったのでした。
主な取り締まり内容は、名前付きの美人画はNG、との事でした。
後の天保の改革で“大首絵”も取り締まり対象となり、美人画ブームはとりあえずの落ち着きを見せたのでした。
●歌舞伎の役者絵の流行
有名なのは東洲斎写楽。
あえて役者のキメポーズではなく、もっともその人らしさが出る仕草のその瞬間を絵に留めます。彼のコンセプトは、例え醜くてもその特徴を生かすと言うものでした。
●風景画の登場
名所、人物、物語と言った大和絵の要素を惜しみなく使い、人々の旅情を満たしたのでした。葛飾北斎、歌川広重といった世界的画家も登場。浮絵、遠近法、陰影法が取り入れられ、風景の雄大さを存分に描いていったのです。
●近代の浮世絵
幕末以降は時事報道の側面が強くなり、文明開化の様相を描くようになっていきました。
しかし、新聞や写真がその役目を取って代わり、日露戦争と共に浮世絵文化は終わりを告げたのでした。
-その後、大正時代に入ると伝統的な浮世絵の復興を目指した活動が見られる事もあった。その際は橋口五葉、伊藤深水、川瀬巴水達が活躍したとのことである-
(報告:事務局 梨羽太朗)
梨羽さん、ありがとうございました。世界に誇る日本の浮世絵、その歴史背景が垣間見えた気がします。皆さまはいかがだったでしょうか?
次回5月24日(土)開催の第7回講座は「江戸の胃袋、100万人の食の秘密」。個人的にも非常に興味のある「食」に関するお話です。今のような物流システムの無い江戸の世で、100万人もの人間の食を満たしたそのシステム、興味ありませんか?それでは、次回もお見逃し無きよう!会場でお待ちしております。
Copyright(C) 2007 Institute for Japanese Cultural Exchange and Experience
All Rights Reserved
|