「下町の外国人もてなしカリスマ」
銀行勤めをしていた澤功氏は、39年、澤の屋の一人娘と結婚し、澤の屋館主となる。修学旅行生の減少し、ビジネス・ホテルの増加などで、客室稼働率は54年の71%から56年には58%と減少し、赤字経営となった。
昭和47年、外国人を積極的に受け入れている旅館組織「ジャパニーズ・イン・グループ」に57年に加盟し、外国人旅行者を迎える方針に転換した。澤の屋は、施設・設備は和式のまま、例えば風呂は部屋風呂でなく共同風呂、トイレも和式であり、おまけに澤氏をはじめ従業員は外国語がわからず、様々な文化・習慣の外国人を受け入れたために当初は戸惑いや苦労があった。
外国人客を受け入れて以降、「夕食代が高い」とか苦情があったことから、夕食を出すことをやめた。その代わり近所の食堂で宿泊客が食事できるように、外国人客の受入と英文メニューの作成を依頼した。また、銀行、郵便局、病院、洗濯屋、寺社等を記入した谷中・根津周辺の英語の地図を作成し、宿泊客に配っている。そうした澤氏の努力もあり、下町気質が外国人客を町に受け入れる土壌としてあったため、日本情緒を味わいたい宿泊客は、花見、夏祭り、菊まつり、餅つき、豆まき等の町内の年中行事に参加することができ、谷中・根津界隈で草の根の国際交流が図られている。
平成14年には41か国からの外国人客、延べ5282人を受け入れた(日本人客1,290人、年平均部屋稼働率95.1%)。これまで延べ10万人もの外国人旅行者を受け入れている。
澤の屋ホームページ (http://www.tctv.ne.jp/members/sawanoya/)